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2008年11月号

vol. 020

頑張ったんですが

~「頑張った」と「努力」を混同してはいけない。工夫なくばそれはただの言い訳だ~

「頑張った」と「努力」は違う。
独善的だが私は「努力」を評価し「頑張った」は評価しない。
頑張り屋さんはとかく賞賛されがちだが、それは単に持って生まれた性格だ。

小さな子供が、なかなかできなかった苦手な課題に、
逃げずにトライをしてそれを克服した時、
「頑張ったね」と褒めてあげるのはよろしいが、
いい歳をした大人が「私、頑張りましたよ」と評価を待っている。
そんな時、私は迷わず「それがどうしたの?」と突き放つ。

今回は、この「頑張った」という言葉で評価を受けようとする、ある特定の年代に、
「もうそれは通用しないんだよ」と念を押したい。
それは何故か20代の男達に多い。

これまで多くの人を見てきたが、
頑張り屋さんは確かにいる。
しかし頑張り屋さんは、三つ子の魂なのだ。
生まれながらにして持ち得たキャラクターで、
実は頑張ることに、それほどの努力を要してはいない。
頑張り屋さんとは、元来、頑張るのが大好なのだ。

人間はそれぞれ頑張れるキャパシティーが違う。
実はそのキャパを超えたところから真価は問われる。
生まれながらに持ちえた「頑張り限界値」を超え、
その上は、努力がなければ超えられない仕組みになっている。
その努力で初めて値打ちが決まるのだ。

では努力とは何なのだろうか。

面白い話がある。
毎日毎日、遅刻を繰り返すA君とB君がいた。

二人を呼んで注意をしたら、
二人共「明日から遅刻しません!」と宣言した。
そして次の日、
A君は始業の30分前に出社してきたが、
B君は初日いきなり遅刻をしてやってきた。

A君に遅刻しなかった理由を聞いてみた。
「注意をされたので『絶対に起きなきゃ』と頑張ったんですよ」と。
しかし一週間もするとA君はまた遅刻の常習犯に戻ってしまった。
そしてこう言った。
「頑張ったんですが…」と。

一方、B君に遅刻の理由を問い質したところ、
「いつも目覚まし時計を止めちゃうので、今朝から時計を2つ置いたんです」
「で、何でそれで遅刻したの?」
「いやぁ、2つとも止めちゃったんです」
と笑っている。

B君はそれから毎日、妙案を編み出した。
「目覚まし時計を3つにした」
「目覚まし時計の1つを隣の部屋に置いた」
「目覚まし時計をナベの上に乗せた」
B君は初日からの試行錯誤を繰り返し、
とうとう二週間もするとピタリと遅刻をなくした。

このB君のあくなきトライ。
これを称して「努力」と呼びたい。

「努力」とは、何かを達成するため、
「具体的な工夫」を繰り返し試行錯誤することで、
それまでできなかった事ができるようになるための「試み」を言うのだろう。

「頑張る」を辞書で引いてみた。
「困難に耐え、努力してやり通すこと」と解説している。
「努力」が含まれていなければ、頑張ったことにはならないようだ。
所詮、精神論だけの「頑張る」など長続きはしない。

同様に、評価しにくい言葉に「負けず嫌い」というのがある。
「私は負けず嫌いなんです」とよく聞く。
だが、誰だって負けるのは嫌いなんだよ。
それを「負けず嫌い」とは言わないんだ。

本当の「負けず嫌い」とは、
「次に負けないための工夫をした者」だけに与えられる称号で、
何の工夫もしないで、
ただ負けるのを悔しがる者を「負けず嫌い」とは認めない。

近年、総じて20代の男達は、
「頑張ったね」と母親から言われて育ってきたのかもしれない。
だがもう30歳も超えればこれは通用しない。
あきらめた方が良い。
今後は別の言い訳を考えるか、
努力をして、克服していくかのどちらかである。

頑張ろうよ。

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 社長 谷洋の独り言ブログ 日々是好日