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2011年6月号

vol. 051

学童疎開という戦略

~未来ある子供達を戦禍から遠ざける。この学童疎開という戦略の真実とは~

福島第一原発の放射線から子供達を救え!
その一策に、昔、戦争中に採用された「学童疎開」がある。
未来だけは守り抜く!この深慮遠謀な戦略は、
現代の企業にも存在する。

私の知人に、
日本が多くの過ちを犯した過去の戦争において、
「唯一、これだけは評価する」
とツバを飛ばして力説する御仁がいる。
その御仁が評価するのが「学童疎開」である。

言わんとするところは次のようなことだろう。

戦争に負け、焦土と化した日本を、
いつの日か、復興してくれるのは子供達であり、
戦争を起こした大人たちは全員が死んだとしても、
未来ある子供達だけは何としてでも救わねばならない!

暗いイメージしか湧いてこない戦争で、
「明るい未来」をイメージできる「学童疎開」は、
確かに唯一の「救い」だ。

だがこの「学童疎開」という戦略、
「未来ある子供の命を救う」というイメージが強いのだが、
本来の主旨はそうではなかったのである。
実はかなりシビアで辛辣だ。

学童疎開という戦略は、日本の専売特許ではない。
最初にこれを発想したのは、
ドイツと戦禍をまみえたイギリスである。
1941年のことだ。

ドイツによる本土空襲に怯えるイギリスは、
都会に住む市民のうち、
15歳以下の子供達140万人を田舎に移住させたのである。
日本もこれに倣った。

学童疎開には当時、3つの目的があった。

日本でもアメリカによる本土空襲が始まり、
子供は逃げる際の足手まといになるのだ。
まずはこれを避けたい。

二つ目は、空襲ターゲットの分散である。
人口を全国に分散させ、
一回の空襲での効果を下げさせたかったのだ。

そして三つ目は「戦力の温存」だ。
疎開とは もともとは、分散して闘うという意味の軍事用語で、
都会で足手まといになる子供を田舎に移し、
都会での防空体制を整えるとともに、
「将来の戦力を温存する」という目的を持っていた。

戦時中の標語「産めよ増やせよ」のスローガンと同じく、
要は「子供は貴重な兵力予備軍」という訳だ。
いやはや、何と恐ろしい発想なのだろう。

どうだろう。
現代の「学童疎開」の意味合いとはまったく違っているのが、
お分かりだろう。

だが、本当にそうだったのだろうか?
当時の軍部は、子供を兵力予備軍としか見ていなかったのだろうか?
フッと疑ってみた。

当時、神の国である日本が負けるはずはなく、
「もし負けた時には…」
なんていう不謹慎な言葉は口には出せなかった。
だが軍部は、密かに、負けを認めていたのかもしれない。

そこで、焦土と化したこの日本を復興できるのは、
前途に洋々と未来ある、子供達しかいないのではないか!?
そう思ったに違いない。
その子供達を、こんなところで死なせてはならない!
きっとそう思ったに違いない。

実際、日中戦争から始まる昭和の戦争は、
明治生まれが旗を振り、
大正生まれが突撃し、
昭和の戦前生まれが、
戦後、奇跡の復興を成し遂げたと言われている。

そういう意味ではこの「学童疎開」は、
極めて深慮遠謀な戦略であったと評価すべきだろう。
現代、学童疎開という言葉が、
「復興」を意図しているのは、あながち間違いではないのである。

「次世代の担い手の温存」という戦略は、
極めて「攻めの戦略」であり
大局的な「公共利益」であり、
企業においても、
随所随時において「学童疎開」を断行すべきなのだ。

「ここにいては未来がない」
そう見切ったのであれば、
若者を死地への巻き添えにしてはならないのだ。
その時こそ「学童疎開」を英断すべきである。

そう。私も今、学童疎開をしてここにいるのです。

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 社長 谷洋の独り言ブログ