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2015年12月号

vol. 105

クリスマス休戦とヤクザと救急車

~地獄の戦場にも、非道なヤクザにも「良心」があった。そしてそれは当然ビジネスにもあるはずだ~

お客様と大トラブル。ぼうぼうと燃えるその修羅場の真っ最中に、当事者の父上が亡くなった。
その瞬間、お客様はピタリとクレームを止めた。誰が頼んだワケでもない。
だが忌が明け、当事者が職場に戻った瞬間、修羅場は再開される。だがそれでヨシだ。

数年前、阪神高速道路を走っていたときだ。
見るからにカタギとは思えぬ、ヤクザな黒塗りの外車が、後ろからグングンと迫って来る。
「そこどかんかいっ!」とばかりにクラクションを鳴らし、ケツをまくって来る。
こんなのにカラまれては災難だ。むろん私も、周りにいた善良な市民たちも、
「どーぞどうぞ」と、その黒塗りの外車に道を譲っていった。

が、そのとき、後ろからもう1台、大音響で迫りくる車があった。救急車だ。
私は当然のことながら、救急車の進路を確保するため、徐行し、車を路肩に寄せ始めたのだが、
さっきの黒塗り外車は、ちょうど私の数台前にいた。
さて、このアホなヤクザたちはどうするのだろう…と見ていたら、
ナント、ヤツらもハザードを点灯し、他の車と同様、車を路肩に寄せ始めたのである。
「おおっ!」と私は心の中で叫び、「やるやん」と小さくつぶやいた。

極道にも魂があったのだ。ヤクザにも救急車に道を譲る「良心」があったのか。
反社会的人種のヤクザなどを褒めてはイカンのかもしれないが、これこそが日本の極道だ。
ちょっと誇らしい気分になった。

ちなみに「偏見だ」とお叱りを受けるかもしれないが、日本以外の国ではこうはいかない。
特に、ご近所の国、韓国と中国では、ヤクザどころか、善良な市民でさえ救急車に道など譲らない。
なぜか?「オレも急いでいる」という立派な理由を持っているからだ。
だが日本は、人命にかかわるなら、ヤクザでさえ「武装解除」をやってのける国なのである。

これは余談なのだが、こんなシーンにも出会ったことがある。
大渋滞の中国自動車道をノロノロと走っていたとき、何台かの車が路肩をスリ抜けていく。
「ズルい!」と腹立たしくそれを見ていたら、
それこそカタギとは思えぬ白塗りの外車が、路肩に半身を出し、スリ抜けの進路を塞ぎ始めた。
だが、自分は路肩を行くワケでもなく、他の車と一緒にノロノロと走っている。
路肩にヤクザの車なら、誰もクラクションさえ鳴らせない。これも「やるやん」とつぶやいた。

さて、この「ヤクザの良心」に合い通ずるのが「クリスマス休戦」である。

「クリスマス休戦」が初めて行われたのは、第一次世界大戦のヨーロッパの西部戦線だった。
ある日、鉄条網で睨み合った英国軍と独国軍のどちらからか「聖歌」が聞こえてきた。
なるほど。今日はクリスマスだ。

すると両軍の大将が進み出て「今日だけは戦うのをやめよう」と申し合わせた。
だって昨日まで、憎しみ合い、殺し合っていた両軍である。
それが今日、睨み合いの中間地帯で、ナント、クリスマスを共に祝い始めたのだ。
兵士たちは、持ち寄った食料やタバコを分け合い、肩を抱き合って聖歌を歌い始めた。
これが、世界初の「クリスマス休戦」となった。

戦争の一時停止は、何もキリスト教徒の「クリスマス休戦」だけではない。
イスラムの国々でも「ラマダンの休戦」というのがあるらしい。
国連も、オリンピックの大会中は「五輪休戦」を世界の紛争国に呼びかけている。

日本でも、戦国時代に「収穫の秋の休戦」という習慣があった。
戦国時代の兵士の大半は農民だ。だから秋の収穫時には一旦、戦をやめ、互いの国許に戻り、
先に収穫を済ませ、氏神に新米を奉り、村人総出の豊穣の祭りまでも済ませてくる。
そしてその後に、また戦地に戻り、改めて「殺し合い」をするというヘンな作法だ。

不思議ではないか。戦争とは殺し合いだろ。憎悪の最たる所業ではないのか。
その狂気の真っ最中に「収穫の秋だ」というだけで、簡単に戦争を中断ができるなら、
「もうやめようよ。その殺し合い」とでも言いたくもなるのだが、それはそれなのだ。
米の収穫が終わるまで、互いに攻撃は仕掛けない。これが双方の暗黙の「紳士協定」となる。
だが戦闘が再開されれば遠慮はしない。これはこれなのだろう。

何より興味深いのは、誰かが決めたルールの上で「休戦」をしているのでないということだ。
国際法には「捕虜を殺してはならない」と書かれているが、
「クリスマス休戦」も「五輪休戦」も「収穫の日の休戦」も「ヤクザと救急車」も、
それらはどの法規書にも書かれてはいない。
これらはすべて「良心」だけが発端であることに驚嘆をしてしまう。スゴいことだ。

さてビジネスも、ある種の戦争である。
しかし、どんなにシビアなビジネスであったとしても、
そこにも「休戦」を認め合う「ヒューマンエチケット」が確固として存在している。

冒頭にも書いたが、実際にあったシーンだ。
お客様と大トラブルとなり、その当事者は休日や深夜を問わず、集中砲火を浴びていた。
当事者は、不眠不休でリカバリーに奔走するが、いっこうに火は消えない。

だがその真っ最中に、当事者の父親が亡くなったというニュースが届いた瞬間、
お客様の、誰が言い出すワケでもなく、ピタリと「休戦」が宣言された。
忌が明けるまで、すべての関係者は武装を解除し、当事者に涼やかな弔意を示したのである。
そして戦場に戻るや、再び火の手は、ぼうと燃え上がった。
それはそれ。これはこれなのだ。見事と言う他はない。
全員が「ヒューマンエチケット」をわきまえた、なんとも涼やかな振る舞いではないだろうか。

ビジネスの日常の風景には、さらに小さな「クリスマス休戦」が見られる。
締め切り厳守の仕事を受けた女性社員の、子供が保育園でケガをしたとの一報が入った。
その瞬間、上司は、「知ったことか」などとは言わない。
上司はその瞬間、「子供のトコに行け。仕事は皆でやっとく」と言い放った。
これも見事と言う他はない。全員がわきまえているのである。

しのぎを削り、罵詈雑言が飛び交い、角突き合わす、そんなシビアなビジネスの渦中でも、
それに勝る「ヒューマンエチケット」が確かに存在をしているのだ。
ヤクザでさえ、救急車に道を譲るのだ。
カタギの我々が、その「ヒューマンエチケット」を守れずに、何がビジネスの正道だろうか。

ビジネスには「休戦」を規定したルールブックはない。
あるのは「良心」に準じた「ヒューマンエチケット」だけである。
そしてこの「良心」だけを拠り所とした暗黙の「一時休戦」が通じればこそ、
我々は日々、仕事に死力を尽くせるものだと思っている。
「悪くないね。このビジネスの世界も」と思っている。
今日の結論は、こんなとりとめもない、ホンワカとした結論である。

さあ、もうすぐクリスマスだ。休戦の準備をしよう。

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