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2016年04月号

vol. 109

田吾作の旅立ち

~幸福とはいったい何なのか。創業10周年を迎えた「りんくる社」は今からどこに向かうのか~

「幸福な日々の連続ほど耐え難いものはない」とゲーテは書いている。
だが、幸福が苦痛をもたらすはずはないので、この言葉は矛盾している。
だが、もしこれが真実だとすれば、実は、幸福とは間違った観念で定義されている。

昔々、名も知らぬ小さな山あいに「田吾作」という青年がいた。
田吾作は貧しかった。父親はすでにいない。身体の弱い母親と2人きりで暮らしている。
田吾作には、猫の額のような小さな荒れた耕地だけがあった。
田吾作は陽が登る前から働き、陽が沈んでも働き、その荒地で作る野菜で必死に母と生きていた。
余分な収穫はなかった。だから母親に飲ませる薬代も持たなかった。
だが田吾作は働き者だった。田吾作は働くことを苦痛だと思ったことは一度も無かった。

田吾作はその小さな荒れた耕地で野菜を育てながら、
粗末な家の裏にある、山の斜面を、毎日、少しずつ、少しずつ、開墾していった。
日々に余裕はなかったが、働き者の田吾作は寝る間を惜しんでは、開墾し続けていった。
そして、数年も経った頃、裏山の斜面に、小さな畑が次々とできあがっていった。
そしてそこで採れた野菜を市場に卸し、少しずつ、少しずつ、蓄えができていった。
そして田吾作はその蓄えで、また新しい苗を買い、また少しずつ収穫を増やしていった。

田吾作は、色んな工夫もした。遠く山の奥から水を得るために、木枠を組んだ水路も作った。
干ばつに弱い品種や、雨風に倒れる品種を見つけ出し、強い品種をどんどんと試していった。
やっと実をつけた野菜が山獣に食べられないよう、ワナもしかけ、防護柵も張った。
田吾作は、次々と工夫を編み出し、少しずつ、少しずつ、豊かになっていった。

やっとのことで余裕のできた田吾作は、次に、山の麓に、猫の額ほどの田んぼを買った。
田吾作は眠る時間を削り、山の畑を耕し、そして麓の田んぼも耕した。
そして、いつしか母親と2人だけで食べられるよりずっと多くの収穫が得られるようになっていた。
そして、田吾作は、その余分な野菜と米を売ったお金で、麓の田んぼを任せられる小作を雇った。
田吾作は小作を大事にし、収穫した野菜や米も、小作たちに十分なほど分け与えた。
小作たちは、田吾作が見ていなくても、一所懸命に働くようになった。

その昔、田吾作は、山あいに小さな荒れ地しか持たなかったとき、
「いつか、小作に仕事を任せ、自分は母親とゆっくりと過ごせる日を作りたい」と夢に思った。
そして、その夢は、ついに叶うこととなった。
田吾作は、すべての仕事を小作に任せ、母親と静かに、豊かに暮らせる日を迎えた。
小さな荒れ地に、一粒の種を植えてから、いつしか10年の時が経っていた。
ああ、やっと、やっと幸せを得た。田吾作はその幸せを心から噛みしめようと思った。

だが、この幸せな日々の連続は、田吾作が噛みしめるほどの「幸せ」を感じさせてはくれなかった。
「なんでだ…」。田吾作は自分に問いかけた。
寝る間を惜しみ、爪に血を滲ませ、あれほど「貧しさから抜け出したい」と思っていたにも関わらず、
「今、オラは幸せじゃない」と、自分の手をジッと見つめた。そして微笑む母親を見つめた。
「幸せって何だべ…」。田吾作はやっと気付いたのである。

田吾作は母に言った。「あの山の向こうに行こうと思う」
母は田吾作に言った。「今の畑と田んぼはどうするんだべ」
田吾作は母に言った。「小作たちにやんべ。オラはまた最初からやり直す」
母は田吾作に言った。「それがええ。連れっててけろ」

田吾作は次の日の朝、まだ陽が登る前に、荷車に、載せられるだけの家財と母親を乗せて家を出た。
山道では眼下に、田吾作が小作に任せた、黄金色にたなびく稲穂の絨毯が見渡せた。
峠を越えるとき、もうここを超えれば、家も、畑も、田んぼも見えなくなる。
だが田吾作は、ヒッシと手車を押した。峠には、何とも言えぬ気持ちのいい秋風が吹いていた。

さてと。昨年、りんくる社は創業10周年を迎えた。
そしてこの春、次の11年目に向かおうとしている。
会社を創業した頃は、寝る間もなく、土日もなく、ゆっくり昼メシを食う時間も無かった。
毎日がまるで飯場のように忙しく、毎日「ここから抜け出したい」と思っていた。そう。田吾作のように。

今、りんくる社は、最低限の社員数で動かせるシステムが出来上がり、
私はすべての仕事を部下に任せ、何もせずとも1日を終えることができようになっている。まるで全自動洗濯機だ。
この平穏な日々を作るため、このオートマチックを作るために、無我夢中で働いてきたはずだ。
だが「幸せ」は逆に、少し、遠のいたような気がしている。
あの、死に物狂いで体を動かしていたあの頃が、全自動をどうやって作ればいいかを寝ずに考えていたあの頃が、
どれだけ楽しかったかを、遠く、思うのである。

私は、若い頃から仕事に苦痛を感じたことは一度もない。ストレスの意味さえ分からなかった。
朝、ベッドの中で目覚めれば、1秒後には仕事モードになっていた。
歯を磨いている鏡を見ながら「今日はあれをして、これをして…」と、
次々と、今日しなければならない仕事が頭の中を巡るのだが、このときの楽しさは無二のものだった。

どうだろう。あなたの身近にも、創業から20年も経ち、経営の安定した零細企業の社長がいるはずだ。
だが彼はきっと仕事などしていない。朝から喫茶店でスポーツ新聞を読み、週3でゴルフに行っているのだろう。
私は、そんな堕落した社長族が、昔はヘドが出るほど忌み嫌っていたのだが、
彼らは、自分が何もしなくても、会社が回る工夫を、必死で、汗をかき、頭をヒネって作ってきたのだ。
ならばそれはスゴいことなのだ。それはそれなりに、尊敬に値するということも分かってきた。
だが彼らは、幸せではなかったのだ。今、私はそれにやっと気が付いた。

多くの人がそうであるように、人は憧れのリゾートに、高い金を払って家族で「訪れた」と言うだけで、
「幸せ」という観念を作り出していたのかもしれない。
だが、どうやらそれは違っていたようだ。
幸せとは、家族をそこに連れて行ける身上となるまでの「道のり」こそが、幸福の正体だったのだ。
リゾートで過ごす貴方は、そこできっと居心地の悪さを感じているに違いない。早く仕事に戻りたいと。

古くは、アリストテレスなどの哲学者が述べている。
「幸福とは結果ではなく、またその結果の状態そのものでもはなく、そこへの道中そのものである」と。
古来、多くの人々がこれを実感してきたはずなのに、
結局は、その結果にたどり着いた本人でなければ、幸せの本質に気付くことは無いのかもしれない。

私は、りんくる社の次の10年を「田吾作たらん」と決めた。
それは安住の地を捨て、新しき荒れ地を求め、そこにまた「道のり」を作ることから始まるのだろう。

この春、我々は思い切って「峠」を越えていく。ドキドキもする。
峠を越えれば、もう振り返っても、今の肥沃な黄金色の絨毯は見えなくなるだろう。
だが、かぶりを振って、山の向こうにある、まだ未開であろう荒れ地に向かおうと思っている。
このワクワク感はいったい何なのだろう。

もし今、貴方が、「自分が何もしなくとも回る会社」を作ろうとシャカリキになっているならば、
それを止めるつもりはない。ましてや止まる貴方でもないだろう。
なぜなら、貴方はすでに感づいているからだ。何もしなくてもいい日がいかに退屈かを。
貴方もきっと、峠に姿を現すのだろう。

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