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2016年05月号

vol. 110

正直だけが窮地を救う

~絶体絶命の窮地に追い込まれ、もはや死を覚悟したとき、人は正直によってのみ救われる~

ビジネスには、ときに「方便(ウソ)」を上手く使わなければならないときがある。
相手は、それが方便だと分かった上で、黙って見逃してくれるのだ。
だが、事ここに極まったとき、あなたを「窮地」から救うのは「正直」だけである。

今から19年前に経験をした実話を紹介したい。
それ以降「正直」をビジネスの「信条」とすることができた、忘れられない事件がある。

ある懇意にしている大手ユーザーから、コンピュータシステムの導入を依頼され、
打合わせの席、そのユーザーの担当者(以下仮名:山田氏)から念を押された。
「谷さん、今回の作業では他のベンダーも入ります。絶対に失敗は許されませんので頼みますよ」と。
「分かりました。でもその代わり、料金は安くないですよ」と強気に出た。
「構わんです。少しぐらい高くてもいいので、Aクラスのメンバーだけで対応をお願いします」と。
そして私は、私の手持ちの中でもトップクラスのメンバーだけでチームを編成することにした。
作業日まで1ヶ月もある。全員を確保できるはずだ。

そして当日。ナント、しくじったのだ。ミスのオンパレードで、現場は大炎上となった。
他のベンダーも、再度の出直しとなり、その損害は小さくはなかった。
炎上は数日間も続き、そこには大空襲の跡地のような茫々たる現場だけが残っていた。
とんでもないことをしてしまった…。悔やんでももう遅かった。

復旧が見えかけたとき、私は山田氏から呼び出しを食らった。大失態の説明を求められるのだ。
呼び出しは、山田氏の上司のはるか上の役員クラスからの出頭命令だった。事の重大さがひしひしと伝わってきた。
山田氏の話からは「損害賠償」という単語も聞こえてきている。
正直、逃げたかった。大マジメに、交通事故にでも遭って病院に担ぎ込まれたい心境だった。

応接室。強面の役員が目の前にいる。その横にはうつむいた山田氏が小さくなっている。
山田氏は、会社の中で体面を失っているのだろう。憔悴し切っているのが目に見えても分かった。
「谷さん、なぜこうなったのかを説明してもらいましょう」
役員の声が静かだった分、かえって強い憤りが感じられた。生半可な答弁では解放されるはずもなかった。
私は、数日前から考えていた「方便」を、頭の中でソラんじ始めていた。
どんなに怒声が飛んできても、ありとあらゆる「方便」と「言い訳」を準備していた。
とにかく、逃げ切ることだけを考えていた。

が、私が答弁をしようとしたその瞬間、山田氏が先に、私を庇う発言を役員に訴え始めた。えっ!
役員は烈火のごとく怒り「黙りなさい!」と山田氏を一喝。
それでも食い下がる山田氏。自身の保身ではなく、私を救わんとする思いがありありと見えた。私はうろたえた。
山田氏は目に涙を浮かべていた。何たることだ…。私の頭の中は真っ白になった。

「御社からの依頼の後、別の、もっと美味しい仕事が入ってきたんです!」
私は突然、大声で2人の会話を遮った。役員も山田氏も「えっ?」という顔をしている。
だが私は、もう止まらなかった。

「作業日がたまたま重なったので、Aクラスメンバーをそっちに回しました」
「御社の仕事は、Bクラスメンバーで何とかなるだろうと安直に考えました」
「山田氏にはAクラスメンバーだとウソをつき通しました」
「私は、両方の会社から、Aクラスメンバーの料金をもらえると計算しました」

役員は呆然自失の体だ。信じられない…といった顔をしている。時計が止まっていた。
山田氏は「やめてくれ」という懇願の顔をこちらに向けている。「ウソを言えよ」と目が訴えていた。
バカかオレは…。何を口走ってるんだ…。だがもう遅かった。

本来ここでは「方便」で繕い、お互いが、お互いの逃げ道に入り込むことこそがビジネスの常道だ。
ビジネスでは、正直に、本当のことを吐露をしてはいけない場面が間違いなくある。
このときが、まさにそのときだったのだと思う。
だが、水が立板を流れるように、すべてを、一滴のウソもなく、神妙に、山田氏をダマしたことを訥々と語った。
「私が殺しました」。逃亡に疲れた殺人犯が、追ってきた刑事に寄りかかるように。
山田氏の私を庇う言葉を聞いてしまった瞬間、私は瞬間的に「浄化」されてしまったのかもしれない。
もういい、と思った。もはや打算などなく、私は多分、死ぬつもりだったのだと思う。

私はすべてを正直にしゃべり終え、そして、役員からの罵声を待った。
だが、役員は何も言わなかった。暫く目をつぶってうつむいていたら、頭上から一言だけ、静かな声が聞こえた。
「分かりました」と。
その役員の声は、信じられないほど冷静だった。

応接室を出た私はそれから数日間、ただただ、ユーザーからの「死刑宣告」だけを待っていた。
だがそれ以降、役員からも、山田氏からも、何のお沙汰も無かった。
「不問に付す」との裁定だったのだろうか。これは、一時でも死を覚悟した身から思えば、不思議としか思えなかった。
この後しばらくして、このユーザーからは、別の仕事も入ってきた。
山田氏とは今でも関係は続いている。あの事件のことはそれ以降、まったく机上にも上がらなかった。

私はこの事件を境に、人が変わったとの自覚がある。
「正直」を使い始めたのである。
だが、窮地に陥り、それから抜け出すための「正直」は、一度たりとも弄したことはない。
この「正直」を、ビジネスの武器に使ったことも、一度たりともない。
ときには「方便」を使い、逃げられるものなら、方便も効果的な手段だと今でも思っているし、
ときには「正直」を吐露し、(ビジネス的に)殺されたことも一度や二度ではない。
だが「正直」を、その日から、怖いとは思わなくなったのである。

「なぜ前と同じ失敗をしたんですか!」
「はい。まさか、もう失敗しないだろうとタカをくくってました」
「な、なんですって…」

「この作業は完璧にやって下さいよ」
「降ろして下さい。完璧などできません」
「えっ!」

心理学的には、人は、正直に「首」を差し出してきた人間に、
もうそれ以上の「追い込み」はしないでおこう、という気持ちが生まれてくるそうだ。
人は常に、自分に不利益を与えた相手を、
「懲らしめてやる」「後悔をさせてやる」という思いを募らせる一方、
逆に、自ら進んで跪き、不利益を甘んじて受けようとする殊勝な心根が少しでも見えたなら、
「もうこれ以上は言うまい」と、すべてを呑み込んでくれるものなのだ。

だが決して、この人間心理を、打算で使うことは許されない。
「正直」を自らの保身のために使った瞬間、それは通用しないどころか、自分の値打ちを下げてしまうのだ。

だが知って欲しい。
事ここに極まったとき、「窮地」を救うのはもはや「正直」だけなのである。
その「正直」によって、いかに不利益が身に降りかかろうとだ。
信じて欲しい。むろん方便ではない。

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 社長 谷洋の独り言ブログ 日々是好日