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2017年03月号

vol. 120

赤ん坊に乳をやりなさい

~言わねば良かった。後悔はいつも後からだ。経営者の一言はそれが正しかろうと余計な一言だ~

小さな会社には「社員がなかなか居着かない」という悩みがある。
その原因の1つは、オーナー経営者に多い「余計な一言」だ。
それさえガマンすれば、社員たちは笑って出社をしてくれるはずなのに。

私がまだ小学生の頃、多分、昭和40年の初め頃だったと記憶している。
親に連れられ、長旅の汽車の中にいた。
昔のJRの特急のボックス席はビッシリと埋まっており、溢れた何人かが通路にも立っていた。
まだ暑い晩夏の候で、むろんその頃にはクーラーなどもなく、
バタバタと天井の扇風機が悲鳴をあげて回っていたことを覚えている。

そのときだ。ある母親が抱いていた赤ん坊が泣き始め、長い時間、ずっと泣き止まないのだ。
最初は皆、気にしないフリをしていたが、赤ん坊はますますボルテージをあげ、
そう、頭のてっぺんがキンキンと痛くなるほどの利かん気で泣きじゃくり始めた。
周りの乗客たちは少しずつイライラし始め、母親もそれを感じ、赤子の口を塞ぐように小さくなっていた。

そのときだ。ついにシビレを切らしたかのように一人の男性が声をあげた。
「おい。静かにさせろよ!」と。
車内は暑く、西日が無遠慮に窓から差し込んでくる。皆がイライラするのは当然のことだった。
私は子供心に「どうなるんだろう…」と、その母親と怒鳴った男を、チラチラと見遣るのだが、
なおも、赤ん坊は大音響を増そうとしていた。

そのときだ。隣のボックスに座っていた品の良い背広を着、カンカン帽を被った老人だろう。
80歳を超えたそうな矍鑠(かくしゃく)としたその老人が、文句を言った男性に向かって声を飛ばした。
「やめなさい。赤ん坊は泣くのが商売だ。少しぐらいの我慢もできないのか」と。
そしてそれに言い返そうとした男に向かって、二の句を継いだ。
「キミにも赤ん坊の頃があったろう。泣いて母親を困らせたこともあったはずだ」と。

車内は水を打ったようにシーンとなった。赤ん坊の泣き声と、車輪のガタンガタンという音だけが聞こえている。
そしてこれだけなら、お年寄りの「勇断なる諫言」であり、美談で終わっていたのかもしれない。
よくあるシーンだ。老人は悪党を懲らしめる「正義の味方」なのだ。だがこの話には続きがあった。

その矍鑠たる老人、刀を返し、今度は赤ん坊を抱く母親に向い、毅然たる声でこう言った。
「お母さん、あんたもあんただ。子供が腹を空かせているのが分かるだろう。今スグ乳をやりなさい!」と。
「えっ」と、私は子供心に驚いた。同様に、周りの大人達も一様に驚きの顔を老人に向けた。
「周りに人がいて恥ずかしいのだろうが、母親がそんなんでどうする!」と。
「お母さん、あなたの子供の泣き声が、皆に迷惑をかけているんだろう」と。

いやはやこの老人、単なる「正義の味方」なんかではなかった。
自分が好かれようが嫌われようと気にしない。正しいと思ったことは、腹にしまうことなく口にする御仁なのだ。
私は子供心に、その場の空気が一瞬にして凍ってしまったことを覚えている。
車両にいたすべての人が、自分が叱られたように下を向いた。

この昔々のワンシーンを思い出したのは、ついぞ先日、これに似た光景を見たからだ。
紹介しよう。

ある家電量販店で、レジの順番を待っていたときだ。
多くの客が順番を待っているのに、レジの出口から男女が割り込んできたのだ。
レジ係は、困った顔をしながらも、先にそのガラの悪い男女を済ませてしまおうと対応しようとしたときだ。
私の前にいた老人が毅然と声をあげた。「やめなさい。皆、並んでいるのですよ」と。

男女はふて腐れたように店を出て行き、傍観していた我々は胸がすくような思いで溜飲を下げた。
だがこの話も、ここでは終わらなかった。
自分の順番が回ってきたその老人、レジ係から「先ほどはありがとうございました」と言われた瞬間、烈火の声を発した。
「何を言っとるんだ。さっきは、あんたに言ったんだ」と。

私を含め、順番を待っていた多くの客たちは、その瞬間に固まった。
レジ係は戸惑ったはずだ。その老人を「友軍」だと思っていたのに、その「友軍」から容赦ない一刀を受けたのである。
そう、この老人も単なる「正義の味方」ではなかったのである。
この御仁、尊敬の拍手を浴びたかったのではない。秩序を正せない店側にガマンならぬ一言を発したかったのである。

この2つの話には共通点がある。
2人の老人は共に完璧に正しく、お叱りは至極まっとうであり、社会正義であり、これっぽっちも間違ってはいない。
だが「言わなくてもいいんじゃないかな…」と周りが感じるくらい、
その一言は、場を凍らせる、あまりにも手厳しい一言だったかもしれない。

この一言の評価は分かれることだろう。
だが「言うが正しい」か「言わぬが正しいか」をここで論じるつもりはない。
ここで言いたいのは、この一言が「人が離れていく一言だった」ということだ。
老人たちはこの言葉には、何かしら「トゲ」のようなモノを感じたのだ。
なるほど。「トゲ」があるなら、誰も近寄りたくないはずだ。

さて、ここで白状しよう。私はこれまで、実に多くの社員を辞めさせている。
今、在籍をする社員数の恐らく4倍ほど、およそ30名ぐらいが会社を去ってしまっている。
辞めていった理由はむろん1つではないだろうが、一番の原因は、まず間違いなく「乳をやりなさい」の一言だと思う。
「これを言ったらアカンでしょ」と分っているのだが言ってしまう。
後悔はいつも後からだ。

どうだろう。「オレもだ」と思い当たる経営者の方も、少なくないはずだ。
目をかけた社員が辞めていき、「あーまたやってしまった」と自分を責める経営者は、山ほどもいるはずだ。
会社が小さければ小さいほど、経営トップと社員とのキョリは近く、声はダイレクトに届く。
まして経営者は、独特の経営哲学を、いや、哲学だなんて大層なモノではなく、独特の「アクの強い流儀」を持つ御仁が多い。
言葉を腹にしまえず、配慮なく発する粗忽な輩なのだ。

さて、今回の結論を「余計な一言を言うな。社員が居着かなくてもいいのか!」としたいのだがそれはムダだろう。
会社を経営するアナタは、言葉を飲み込むような控え目な人間ではないはずだ。
ならばせめて、辞めた社員から「社長はイヤな奴だったが、スゴい人だった」と言われるようにしたいものである。
でなければ「救い」がないのである。

昔、社員たちが、私の「取扱説明書」を作ってはどうか、と陰口したことがある。
いやはや、なんと的を得た表現だろう。
だったらば、社員たちは、経営者の余計な一言にいちいち閉口するよりも、
「なるほどね。あー言えばこー言うんだ」と、寛大な心でその一言を受け流して欲しかった。
そう。私の場合、最後の最後は、情けない話、社員の度量だけが頼りなのだ。

多分、私はこれからも「乳をやりなさい」を口走ってしまうのだろう。
だが、その心にしまえない「余計な一言」を、
それが正しいことだけを理由に言い続けるならば、その代償だけは覚悟しておくべきだろう。
そう。これを読む、経営者のアナタもだ。

そう言えば、あの矍鑠たる老人たちも、小さな会社の経営者だったのだろうか…。

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