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2017年05月号

vol. 122

護佐丸の悪魔の証明

~忠義を貫くには「死」を選ぶしかなかった護佐丸。「ない」ことの証明はそれほどまでに難しい~

「ある」ことの証明は簡単だが、「ない」ことの証明は非常に難しいと言われている。
例えば、月にウサギがいるのなら、ウサギを一匹捕まえてくればいいのだが、
ウサギがいないことを証明するならば、月をくまなく探索しなければならないからだ。

今の沖縄、昔に「琉球王国」と呼ばれた独立国家は、
14世紀頃まで、大陸や日本の影響を受け、小さな豪族が群雄割拠する、まだまだ未統一の島国だった。
これを統一したのが「尚泰久(しょうたいきゅう)」という豪族の一人だったのだが、それは圧倒的な覇権ではなかった。
同じ程度の力を持つ豪族同志が手を結び、互いが猜疑し、互いが牽制しながらの、呉越同舟の中での「琉球統一」だった。

その尚泰久が手を結んだ豪族の中に、姻戚関係をも結び、忠誠の杯を交わした「護佐丸(ごさまる)」という有力な豪族がいた。
尚泰久の琉球統一が叶ったのは、この護佐丸の後ろ盾によるものが大きかった。
護佐丸は、当時の琉球では最強の軍隊を持つ実力者だったからだ。
然るに、尚泰久にとっては護佐丸は最も頼りになる家臣である一方、これほど敵に回したくない存在はなかったことだろう。
果たして、尚泰久にとっては、琉球統一のその瞬間から、盟友・護佐丸は、逆に思わぬ不安材料に代わっていくことになる。

そんな中、護佐丸と同じく、股肱の家臣であった「金丸(かなまる)」という側近から、ある不穏な情報が尚泰久に届けられた。
金丸は、財政を担当する尚泰久のトップブレインであり、絶対的信用を得ている最も身近な腹心であった。
その不穏な情報とは、中城城(なかぐすくじょう)の護佐丸が「謀反」を企てているという驚愕の情報だった。
これは尚泰久にとって、最も恐れていた事態である。

護佐丸には、残党鎮圧のため、まだ大いなる指揮権と軍事力を許したままだ。
護佐丸がその軍を政府に向けたなら、尚泰久の急こしらえの政府など、一夜にしてケシ飛んでしまうだろう。
尚泰久は、夜道に映る「木の影」さえ、自分を狙う刺客に見えたのだろう。護佐丸はもう、敵した相手としか映らなくなっていた。
尚泰久はもはや恐怖の中にいる。急ぎ、かけなしの政府軍を「金丸」に預け、その軍を護佐丸の中城城に差し向けた。

これに驚いたのは護佐丸である。
まだ琉球北部に残る、反政府の残党狩りのため集めた兵馬を、なんと「反乱軍」と見なされたワケだ。冗談ではない。
護佐丸はすぐに尚泰久に使者を送り、自分には、謀反の心など一糸もないことを告げる。
だが尚泰久はもう、それに耳を貸そうとはしない。
もし政府軍が、護佐丸軍との戦いとなれば、最強の軍力のを持つ護佐丸軍に勝てる見込みなどこれっぽっちもないのだが、
もはや尚泰久には、そんな冷静な判断すらできる余裕さえなかった。

当然、護佐丸の家臣たちは「迎え撃つべし!」を主張する。
だが護佐丸は何故か、じっと動こうとはしない。
護佐丸は、何度も、何度も尚泰久に使者を送り、自分に謀反の気持ちなどないことを主張するだけである。
政府軍はもうそこまで来ている。戦えば易々と勝てるだろう。だが護佐丸はそれでも動かなかった。
側近は言う。「護佐丸さま、なぜ戦わないのですか!我々はあらぬ疑いをかけられたのですよ!」と。
それでも護佐丸は動かなかった。

ついに政府軍が城を包囲した。護佐丸の息子は、父親の膝元ににじり寄り、そして懇願するようにこう言った。
「父上、お願いです。戦いましょう。尚泰久は、我々を信じてくれなかったのです」と。
「そして父上、父上がこの琉球の新しい王となりましょう」と。

深く目を閉じていた護佐丸はそっと目を開き、息子の顔を悲しげに見上げてこう言った。
「息子よ。私は謀反の心など一糸も持たなかった」
「父上、それは分かっています。しかし…」
「息子よ。それを証明するには、戦ってはイカンのだ」
「なんと・・・」
「戦えば、やはり『護佐丸は裏切るつもりだった』と、後世に汚名を残すことになる」
「しかし戦わねば我々は死にます」
「仕方あるまい。『逆心なき』の証には『死』しかあるまい」
「ああ、父上…」

これが沖縄に今でも残る「護佐丸の乱」の顛末である。
護佐丸はこの戦いで、無抵抗のまま、政府軍に包囲され、その中で自害をする。
護佐丸に旬じ、彼の側近、妻、そして息子も、自らの命を絶ったという話である。

これはもはや「乱」ではあるまい。
この「護佐丸伝説」は数世紀を経過した今でも、死を以って忠義を貫いた「美しき伝説」として、後世の人々に言い継がれている。
護佐丸は、逆心の「ない」ことの証明の難しさを、「自らの死」でしか示せなかったという話である。
今、中城城は、ユネスコの世界遺産にも登録され、多くの人々がここを訪れ、この「護佐丸伝説」に心を震わせる。

さて、この伝説には付録談がある。
恐怖におののき、護佐丸の申し開きを一切信じなかった尚泰久の一族はこの後、滅亡をする。
あろうことか、「護佐丸に逆心あり」を吹き込んだ金丸に、その首を掻かれたのである。
この付録談は、伝説としては出来すぎた話ではあるが、いかにも日本人の好む忠義と因果の物語ではないだろうか。
そして、「ない」ことの証明はできないものなんだを、如実に語る逸話でもある。

さて、ここからビジネスの話である。
私は、この「護佐丸伝説」の話を、よく皆の前でするのだが、それはこの忠義の美しきを言わんがためではない。
それは「ない」ことの証明に比べ、「ある」ことの証明が何とも簡単であるかを言わんとするためである。

ビジネスの日常を見渡して欲しい。
ことビジネスにおいて、「ない」ことの証明をしなければならない場面などあるだろうか。
会議の席において、「ある」ことを主張する者が、その宣言とその根拠を示す。これがビジネスの会議での暗黙のルールだ。
主張の「ない」者は黙っていればいいだけだ。「ない」ことの証明は要らない。
「ない」者は「ある」者に黙って従うだけなのである。

昔から、この「ない」ことの証明は、哲学的な永遠の命題として取り上げられ、それは「悪魔の証明」と呼ばれている。
だが、この「悪魔の証明」は、ビジネスの世界にはおいては存在しないのだ、と私は常々思っている。
「ない」なら黙っていればいいだけだ。誰にだってできるのだ。

護佐丸は「ない」ことの証明に大いに苦心し、そして「命」まで投げ打った。
ならば、「ある」ことの証明だけで済むビジネスの世界で、
その「ある」ことの証明すらできないとすれば、護佐丸の自害どころではない。
それは「万死」にも値すると思うべきだろう。

「キミはやる気があるのか!」を問われれば、「ある」姿を見せればいいだけだ。
やる気がないのなら黙っていればいい。
「誰がやる?」「私です」
「勝てるのか?」「確信があります」
「このままでいいのか?」「いえ。やり返します」
こんな簡単な「ある」ことの証明を、怠る輩がいるのだ。

ビジネスは「ある」ことの証明の連続である。
ビジネスは「ある」ことの証明にのみ晒されている。
なのに、そんな簡単なことすらできないなら、護佐丸に笑われてしまうだろう。
さあ、「ある」ことを示そうではないか。

ウサギはそこらじゅうにいる。

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